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盛岡地方裁判所 昭和44年(ワ)12号 判決

花巻市志戸平二六番地 岩手労災病院内

原告 山崎武

右訴訟代理人弁護士 菅原一郎

同 菅原瞳

東京都千代田区霞ヶ関一丁目一番一号

被告 国

右代表者法務大臣 前尾繁三郎

右指定代理人 森靖男

〈ほか五名〉

主文

被告は原告に対し金三二〇一万七〇八五円及び内金二七四八万三四一三円に対する昭和三九年五月二六日から、内金五〇万円に対する昭和四四年一月二〇日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は全部被告の負担とする。

この判決は原告勝訴の部分について仮に執行することができる。

事実

第一、当事者双方の求めた裁判

一、請求の趣旨

1、被告は原告に対し金三二四八万四四一三円および内金二七四八万三四一三円に対する昭和三九年五月二六日から、内金五〇万円に対する昭和四四年一月一九日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2、訴訟費用は被告の負担とする。

3、仮執行宣言。

二、右に対する答弁

1、原告の請求を棄却する。

2、訴訟費用は原告の負担とする。

3、予備的に、担保を条件とする仮執行免説の宣言。

第二、当事者双方の主張

一、請求の原因

1、事故の発生

昭和三九年五月二六日午前九時過頃、原告は、岩手中央バス繋営業所において盛岡行きのバスを待っていたところ、陸上自衛隊のジープが通りかかり、これに乗っていた防衛庁職員佐々木某に盛岡まで同乗していかないかと誘われ、右ジープに乗りこんだ。

右ジープは防衛庁所有で岩手県滝沢村駐屯の陸上自衛隊第九特科連隊本部中隊安倍長次陸士長が運転していたものであるが、盛岡に向けて国道四六号線を進行中、右安倍と佐々木は原告に対し陸上自衛隊に入隊するよう勧誘し、原告はこれをことわっていたが、同日午前九時四〇分頃滝沢村大釜柳原付近を進行していた際、右安倍が運転をあやまったため、右ジープは国道の右側部分を横切り田甫に転落し、よって原告は脊髄損傷の傷害を負い、現在なお入院中である。

2、被告の損害賠償責任

被告は自動車損害賠償保障法第三条により本件事故により原告が蒙った損害を賠償する義務がある。

3、原告の損害

(一) 逸失利益合計一九五〇万八四一三円

(1) 原告は昭和二一年四月七日生れの健康な男子であったが、中学卒業後就職のため上京し、株式会社香蘭堂等に勤務していたが、たまたま帰省中に本件事故にあった。原告は前記傷害により、両下肢は完全に麻痺し、回復の見通しはなくなった。右傷害は労働省労働基準局長通達の別表「労働能力喪失率表」および「労働能力喪失率併記自賠法施行令別表後遺障害別等級表」の第一級九号に該当するから、原告の労働能力の喪失率は一〇〇%とみるべきである。

(2) 原告のように特定の技能、技術を有せず、約二年間に四ヶ所も勤務先を変え、いまだ生涯の職業を特定していないような者の場合、将来の労働による収入を算定するには、労働省作成の「賃金構造基本統計調査」の「労働者の種類、性、学歴および年令階級別平均現金給与額」によるのが合理的であると思われる。

すなわち、原告は昭和三七年三月西根一中を卒業し、直ちに香蘭堂に就職したが、翌三八年七月頃同社を退職して帰郷し、同年八月頃盛岡市の株式会社盛岡タクシーに修理工見習として就職した(月給約九〇〇〇円)。しかし、翌三九年二月中旬頃右会社を退職して上京し、東京都江東区内の宝飯運送株式会社に運転助手として就職した(月給約四万円)が、約一ヶ月で退職し、同年三月中旬頃再び香蘭堂に就職した(月給約二万円)。なお、原告は将来運転手となることを希望し、運転免許取得のため自衛隊を受験したり、また運転免許の受験のため試験場へ行こうとしていた際に本件事故にあった。

(3) 右統計を用いて逸失利益を算定すると、次のようになる。

(イ) 昭和四三年一二月一日より同四四年五月三一日まで

右統計によると、昭和四三年六月現在の小学、新中卒の男子労働者二〇才ないし二四才の年間給与額は五二万〇五〇〇円であるから、六ヶ月間の逸失利益は二六万〇二五〇円となるが、この間被告から休業補償として一三万七四九七円(日額七五五円四九銭)の内払を受けているので、残額は一二万二七五三円となる。

(ロ) 昭和四四年六月一日より昭和四六年四月六日まで

前記統計によると、昭和四四年六月現在の小学、新中卒の男子労働者二〇才ないし二四才の年間給与額は六〇万七八〇〇円であるから、右期間の逸失利益は九六万二五一二円となるが、この間被告から休業補償費として二二万九六六九円(日額七五五円四九銭)の内払を受けているので、残額は七三万二八四三円となる。なお、昭和四六年四月の六日分は日額一三七七円で計算した。

(ハ) 昭和四六年四月七日以降

前記統計の昭和四四年六月現在の小学、新中卒男子労働者の各年令時における給与額は別紙第一表のとおりであり、原告の場合六三才まで稼働可能であるので、この間の給与額からホフマン式計算法により中間利息を控除して計算すると、別紙第二表のとおりこの間の逸失利益の現在額は一八六五万二八一七円となる。

(二) 付添費合計一〇四七万五〇〇〇円

(1) 前記のとおり、原告は本件事故により両下肢が完全に麻痺し、自力で身体を移動させることができず、その他日常生活上必要な動作も十分できないため、付添人を必要とする。この状態は将来良くなる見込はない。今日まで原告の母ヨシによって看護がなされてきたが、六〇才に近くこれ以上の努力を期待しがたい。岩手労災病院では労災患者以外は原則として自己の責任で付添人を依頼しなければならず、また仮に退院したとしても、結婚が不可能な原告には妻の扶助協力は考えられず、兄弟に求めるのも酷であり、結局付添人を雇入れるほかない。

付添費は日額金一二〇〇円が妥当な金額である。

(2) 昭和四三年一二月一日より昭和四六年四月六日まで

この間の日数は八五七日なので一〇二万八四〇〇円となるが、七二万八四五〇円(日額八五〇円)の内払を受けているので、残額は二九万九九五〇円となる。

(3) 昭和四六年四月七日以降

第一二回生命表によれば、二五才の男子の平均余命は四五・五四年であるから、原告もあと四五年は生存すると思われる。したがって、今後四五年間にわたり毎年四三万八〇〇〇円を支出せざるをえないことになり、右の総額からホフマン式計算法により中間利息を控除すると現在額は一〇一七万五〇五〇円となる。

(三) 慰藉料二〇〇万円

原告は本件事故以後、用便は勿論その他こまごまとした日常の動作についても他人の助けを必要とし、この状態は一生続くものと考えられる。

今後四十数年にわたる長い人生を他人の助けをかりながら、病床で過さなければならないことの苦しみはとうてい測り知れないものである。よって慰藉料は二〇〇万円を相当と考える。

(四) 弁護士費用五〇万円

被告は、自衛隊の内規のため休業補償および付添費を増額する意向は全くなく、本件事故発生以来原告の一方的譲歩のもとに各和解契約を締結してきたのであり、原告としては正当な休業補償、付添費および慰藉料の支払を受けるには訴を提起せざるをえなくなり、よって昭和四三年一二月一日原告訴訟代理人両名に本訴の提起を委任し、その手数料および謝金を合計金五〇万円とし、これを第一審判決言渡時に支払う旨を約したものである。

4、よって、原告は被告に対し右損害合計三二四八万四四一三円および内金二七四八万三四一三円については本件事故の発生日である昭和三九年五月二六日から、うち金五〇万円については訴状送達の翌日である昭和四四年一月二〇日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、答弁

1、請求原因に対する認否

請求原因1のうち、ジープの同乗者が佐々木某であること、安倍が原告に対し自衛隊入隊を勧誘したこと、原告がこれを断ったこと及び事故発生場所は否認し、その余は認める。佐々木某は菊地健の誤りであり、事故発生場所は盛岡市上厨川横長根通称柳原地内国道四六号線付近である。

同2は認める。

同3の(一)のうち、(1)は、原告の労働能力喪失率が一〇〇%であることは争い、その余の事実は認める。(2)(3)はすべて争う。

同3の(二)(三)(四)はすべて争う。

2、逸失利益について

(一) 原告は、逸失利益の算定の基礎として、労働省の統計における全国平均賃金額を主張しているが、これは相当でない。

原告は、昭和三七年三月中学校を卒業後、東京都足立区内の株式会社香蘭堂に印刷工として入社し、同年七月に一時退社したが、翌三八年二月には再び同社に戻り、本件事故当時は同社の社員たる給与生活者であることは明白なので、逸失利益の算定基礎は同社から得ていた収入を基礎とすべきである。

原告が香蘭堂から得ていた収入は別紙第三表のとおりである。そこで、損害発生の属する月の前月から過去三ヶ月間において取得した給与額から源泉徴収された国税を控除し、これを給与額算出期間の総日数で除した額六五三円七七銭と、損害発生前一年間の賞与の総額から源泉徴収された国税を控除し、これを賞与算出期間の日数で除した額一〇一円七二銭との合計額七五五円四九銭が逸失利益算定基礎となる平均収入日額である。

(二) 原告は労働能力を一〇〇%喪失したと主張しているが、これも相当でない。労働者災害補償保険法施行規則別表によれば、原告の障害の程度は第一級の九に該当し、労働能力喪失率一〇〇%となっている。しかし、この労働能力喪失率表は、大量の労災業務を円滑に遂行するため、主に肉体労働者を対象として具体的な職業年令等の要素を捨象して作成されたものであって、これを具体的な労働能力喪失率が問題となる本件に適用するのは妥当でない。すなわち原告は上半身には全く異常がないので、上半身のみを使う職業に再就職して稼働することは可能である。また、原告の年令から考えて機能訓練も可能であるからこの点も逸失利益の算定について考慮すべきである。

3、付添費について

原告は、下半身は完全に麻痺しているけれども、上半身においては全く異常がなく、車椅子を利用して二時間以上も身体を移動させることができる。松葉杖歩行も五〇〇メートル以上行なうことができる。また、毎月一、二回外泊している。これらのことから、原告は日常生活上必要な動作も十分行なうことができると推認される。

原告にはその母親山崎ヨシが付添っており、主として、洗面、食事、大小便の介添、その後始末、着替え、入浴、洗濯などの世話を行なっている模様であるが、これらのうち、他人の援助を必要とするものは、三日に一度の割合で使用する高圧浣腸による大便の排出と入浴の世話ぐらいなものである。高圧浣腸はその使用方法を習得すれば家族によっても使用することができ、また入浴もその都度家族が介添すれば足りるので、そのために常時付添人を必要とするものではない。被告は、原告の母親が原告に付添っていることについてこれまで付添料を支払ってきたが、これは入院当初の原告の症状からその必要性を認めたためであり、原告が車椅子、松葉杖によって身体の移動が可能になってからは、原告の社会復帰の一日も早からんことを願い、かつ原告からの希望もあったので、特に好意的にこれを認めているものであって、原告の現在の状態において付添人の常時必要性までも認めているのではない。原告とほぼ同年令の舟見豊治(証人)が原告と同じ時期に脊髄損傷の傷害を受け、下半身完全麻痺の後遺症を負いながら、自力により社会復帰を目指して努力していることも十分参考にされるべきである。したがって、原告の付添費の請求はその必要性を欠き相当でない。

仮に被告の右主張がいれられず、現在の原告に付添人が必要であるとされても、原告主張のように原告の余命年数のすべてにつき付添費用の請求をすることは不当である。けだし、原告は未だ青年期にあり、今後機能回復訓練を積むことによって上肢による代償機能が回復する可能性を十分有しているからである。この場合、原告の請求は相当な期間に限ってのみ認められるべきである。

また、付添費用の額についても、原告の症状から考えて、岩手労災病院の労災脊髄損傷患者と同じく、患者四人に付添人一人の割合によって算定したものとすべきである。

4、慰藉料について

原告は通常人に比し日常生活に多少の不便をうけているとしても、現在では車椅子による移動、松葉杖による歩行が可能となり、時には外泊も許される状態になっていること、本件事故は自衛隊員が原告に対し盛岡までの同乗をすすめたところ、原告が任意にこれに応じ乗車した際に起きたものであること、被告は本件事故後誠意をもって原告の治療その他救護回復措置をとってきたことなども、慰藉料の算定について考慮するのが相当である。

5、弁護士費用について

被告は、本件事故の重大性に鑑み、これまで原告に対し誠意ある態度をもって、最大限の賠償を実施してきた。すなわち、事故直後および昭和三九年八月頃陸上自衛隊の損害賠償担当官が原告、その両親、長兄と面接し、本件事故の責任は被告にあり、損害賠償を毎月支払う旨を説明し、同人らの了承を得て、昭和三九年五月分から現在まで療養賠償金、休業賠償金、財産賠償金を一回の遅滞もなく支払ってきた。その他、原告の療養上必要な歩行用補助用具(胸椎用装具、左右膝関節用装具、支柱付靴型装具、松葉杖)についても、原告の請求があり次第すみやかに提供してきた。ただ、慰藉料および原告の退院後の逸失利益については、原告の症状が固定した段階で原告と和解をしたうえ支払うことにしていた。

ところが、原告は、被告に本件損害賠償について一度も相談、交渉することなく、右債権の取立を原告訴訟代理人らに委任した。原告代理人らは昭和四三年一〇月九日付書面で被告に対し同月中に示談交渉の連絡がない場合には訴訟を提起するとの申入れを受けたが、被告としては、原告が未だ治療継続中であり、損害賠償額の算定が困難であるところから、原告の症状が医学的に固定した段階でこれに応じたい旨回答したところ、本件訴訟が提起された。このように、原告の右訴訟提起行為は、原告と被告間の私的紛争が未だ十分に熟していない間に一方的に行なわれたものであり、それに要した弁護士費用は本来不必要な費用であるというべきである。また被告の応訴行為は自己の正当な権利を擁護するためのものであって何ら違法性がないのであるから、弁護士費用を被告において負担すべきいわれはない。

6  弁済の抗弁

(一) 逸失利益について

被告は、原告に対し昭和四三年一二月分から昭和四六年七月分まで休業補償費合計七三万五〇七九円(日額七五五円四九銭)を支払った。

(二) 付添費用について

仮に付添費用が認められるときは、被告は原告に対し昭和四三年一二月分から昭和四六年七月分までの付添費用として一日八五〇円の割合で計算した八二万七〇五〇円を支払った。

三、抗弁に対する答弁

すべて認める。

第三、証拠関係≪省略≫

理由

一、請求原因第1項(争いある部分を除く)及び第2項は当事者間に争いがない。第一項中争いある部分は、本件において重要でないから、判断を省略する。

二、次に、原告の蒙った損害について判断する。

1、逸失利益

(一)  原告は昭和二一年四月七日生れの健康な男子であったこと、中学卒業後就職のため上京し、株式会社香蘭堂などに勤務していたが、たまたま帰省中に本件事故に会ったこと(当時一八才であった)、原告は脊髄損傷の傷害により、両下肢が完全に麻痺し、回復の見込がないことは、いずれも当事者間に争いがない。右後遺症は後遺障害等級の第一級の九に該当し、労働省労働基準局長通牒の「労働能力喪失率表」によれば、右後遺症の労働能力喪失率は一〇〇%である。ところで、≪証拠省略≫によれば、原告は下半身は完全麻痺であるが上半身は異常がないこと、原告と同じ障害の人で時計修理業に就職した人があること、舟見豊治はもと自衛官であったが、昭和三九年七月四日職務に従事中脊髄損傷の傷害を受け、原告と同じく下半身完全麻痺であるが、現在(昭和四五年九月七日証人尋問)機械による編物を業としていること(ただし、就業時間は一日二時間位が限度である)が認められる。右認定によれば、下半身完全麻痺の人でも、異常のない上半身を使用して何らかの職業に就く可能性があるといえる。その職業の如何によっては、労働能力喪失率は相当低くなり、或いは相当高くなるであろう。本件においても、原告は何らかの職に就く可能性を有しているものといえる。現に、原告は本人尋問において、人を雇い店を持って何か商売をしたいという希望を述べている。

しかしながら、裁判所は第一級の後遺障害に該当する者の労働能力喪失率は特段の事由がない限り一〇〇%とみるべきであると考える。もし右喪失率がもっと低いというなら、それを主張する者において右喪失率が何%であるかを明らかにすべきである。右の点が明らかでない以上、右喪失率は一〇〇%であるとして逸失利益を認定すべきである。本件において原告がどんな職業に就くことができるのか、何らかの職に就いた場合いくらの収入をあげることができるのか、したがって、労働能力の喪失率は何%になるのか、については、現段階において全く不明である。前記舟見豊治はもと自衛官であった者で、その社会復帰に対する真摯な態度(前記認定のほか、後記2付添費(一)に認定のとおり)はまことに立派であるが、これをもって、同種障害の他の者の社会復帰への態度も右舟見のようでなければならないとするのは酷であり、舟見証人の証言をもっても、同人の稼働による収入が同業の普通人の収人の何%であるのか不明であり、右証言は原告の労働能力喪失率一〇〇%を減少する証拠とするに足りない。

以上の故に、裁判所は原告の労働能力喪失率を一〇〇%と認めてその逸失利益を計算する。

(二)  ≪証拠省略≫によれば、原告は昭和三七年三月、中学卒業後、同年四月頃東京都北区内の株式会社香蘭堂に印刷工として就職したこと、しかし翌三八年七月に右会社を退社して帰郷し、半年位株式会社盛岡タクシーに修理工見習として勤めたこと、その後再び上京して運送会社に勤務したが、一ヶ月位でここを退職し、昭和三九年二月頃再び香蘭堂に就職したこと、同年五月盛岡に帰省中本件事故にあったこと、以上の事実が認められる。

通常、逸失利益を計算するのに、被害者が事故当時有職者であったときは、その当時における収入を基礎とする。原告は本件事故当時、香蘭堂に就職しており、事故当時の原告の月収が二万円であったことは当事者間に争いがない。しかし、原告は、中学卒業後約二年の間に四回も職場を変えたこと前認定のとおりであり、未だ特定の技能を身につけておらず、その生涯の職業は定まっていないものといわねばならない。かかる原告について、いかに事故当時職業を有したからといって、それが将来四〇年以上にわたって継続するものと推定することは、甚だ妥当を欠くものと考える。しかも、月収二万円とは中学卒業二年後における一八才の原告の月収である。この安い月収が将来四〇年以上もの間上らずに続くことはありえない。≪証拠省略≫によれば、もし原告が香蘭堂に引き続き勤務しておったなら、昭和四六年八月当時において月収三万ないし四万円位に上っていたであろうことは容易に推測される。したがって、月収二万円を逸失利益算定の基礎とすることは不当である。更に、≪証拠省略≫によれば、香蘭堂における従業員の賃金は労働省の統計が示す平均賃金を下廻るものでないと認められる。故に、もし原告が引き続き香蘭堂に勤務していたなら、原告は右平均賃金に劣らない賃金を得たであろうと推測される。以上の諸点にかんがみ、原告の逸失利益の計算については、原告の主張を採用し、労働省の統計における平均賃金に従うこととする。なお、前記認定の原告の職歴にかんがみ、右統計資料の利用については、原告を生産労働者と認める。

(三)(1)  昭和四三年一二月一日より昭和四四年五月三一日まで

≪証拠省略≫によると、昭和四三年六月現在の小学・新中卒の男子生産労働者二〇才ないし二四才の年間給与額は五二万〇五〇〇円であるから、その六ヶ月分は二六万〇二五〇円となる。

(2) 昭和四四年六月一日より昭和四六年四月六日まで

≪証拠省略≫によると、昭和四四年六月現在の小学・新中卒の男子生産労働者二〇才ないし二四才の年間給与額は六〇万七八〇〇円であるから、右期間(一年一〇ヶ月六日間)の逸失利益は原告主張の九六万二五一二円を越える額となる(六日分について、一ヶ月四万二七〇〇円の三〇分の六として八五三八円となり、一年一〇ヶ月六日分は一一二万二八三八円となる。)。よって原告の主張額は相当である。

(3) 昭和四六年四月七日以降

≪証拠省略≫によれば、昭和四四年六月現在の小学・新中卒の男子生産労働者の各年令時における給与額は別紙第一表のとおりであることが認められ、前記のように昭和二一年四月七日生れの男性である原告の昭和四六年四月以降の就労可能年数は六三才まで三八年間であると認めるのが相当であるから、この間の給与額からホフマン式計算法により中間利息を控除して計算すると、別紙第四表のとおりこの間の逸失利益は一八六五万二八〇二円となる。

(4) 以上合計すると金一九八七万五五六四円となるが、被告が原告に対して休業補償費として七三万五〇七九円を支払ったことは当事者間に争いがないので、この分を差し引いた残額は金一九一四万〇四八五円となる。

2  付添費

(一)  ≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。

原告は脊髄損傷のためへそのあたりから下は完全に麻痺し、当初は全然身動きできなかった。原告は今もなお入院中であるが、原告の母山崎ヨシは本件事故当日から殆ど毎日原告に付添っており(たまに付添を休む時は代りの人を頼む)、原告が自分では何もできないため、原告の身の廻りの一切のこと、すなわち、洗面、食事、大小便の介添とその後始末、着替え、入浴、洗濯などの世話をしてきた。右のうち、大便は三日に一度高圧浣腸を用いることを要するのであるが、これはその技術を有する者でなければ行うことができず、現在は病院の看護婦がしているが、付添人が介添することを必要とする。小便は頃を見計らってビンをあて下腹部を手で押して出さねばならない(おくれるともらしてしまう)。入浴も介添を必要とする。原告は、その後の機能回復訓練の結果、昭和四五年五月頃(原告本人尋問の頃)には、一日に車椅子に二時間位すわっていることができるようになり(その間車椅子によって移動することができる)、また、松葉杖を用いて一日に五〇〇米位歩行することができるようになった。時には、兄の家へ行って泊ることもできるようになった。

以上のように認められる。そして、≪証拠省略≫によれば、原告と同じく下半身完全麻痺の舟見豊治は、機能訓練の結果、車椅子に乗って自分で便所へ行き、自分で浣腸器を使って大便を排出し、小便も自分の手で排出することができるようになり、入浴も自分でしており、車椅子に乗って外出もし(映画を見たり、パチンコをしたりする)、手だけで操作する特殊の構造の自動車を自ら運転できるようになったことが認められる。したがって、原告も、訓練次第で、舟見豊治のように、大小便や入浴などは人手を借りずに自分だけでできるようになるであろうし、車椅子に乗ってあちこち外出することもできるようになるであろうと推測される。

しかし、だからといって、被告が主張するように、付添人の必要がないとか、必要だとしても相当な期間に限るべきだとかいうことにはならない。寝たり、起きたり、食べたり、出したり、風呂に入ったり、車椅子で外出したりなど自分でできるとしても、それだけでは生活はなりたたない。炊事、掃除、洗濯、買物などのいわゆる家事労働が必要である。我々の日常生活においては、通常、家事労働は主婦が担当することによって生活がなりたっている。しかし、原告には結婚は不可能である。完全麻痺の下半身には性器も含まれている。だから原告は家事における妻の協力を望みえない。もとより男子にも家事労働をすることは可能であり、下半身完全麻痺の原告にも努力次第で自ら炊事、洗濯など家事一切をすることができるかも知れない。だが、努力次第で可能だからといって、下半身完全麻痺の、結婚を不可能にされた者に対し、家事一切は自分でできるから付添人は必要でない、というのは、余りにも苛酷である。もちろん、機能回復が進むにつれて、今までのようにしょっちゅう付き添っている必要はなくなるであろうが、それでもなお、身の廻りの世話や家事労働に関して付添の必要性は否定できない。そして、この必要性は原告の生存中続くものというべきである。

被告は、付添費の額は患者四人に付添人一人の割合によるべきであるという。病院において付けられる付添人は患者四人に対し一人であるとしても、原告はそういつまでも入院しているわけでもなかろう。もう少し機能回復が進めば、退院して、車椅子を用いるに適する構造の家屋に居住することになるであろう。そうなれば、患者四人に付添人一人というわけにはいかない。原告一人に付添人一人の必要性は認めざるをえない。

原告の付添は、母が健在の間は母がするであろう。母のないあとは兄弟らがするであろう。しかし、それさえも無償というべきではない。他人に付添を頼むとすれば、たとえ常に付き添っている必要がないとしても、相当の費用を要することは明らかである。その費用は、現今の経済事情に照らし、一日一二〇〇円を越えるものと認めるのが相当であるから、原告主張の一日一二〇〇円を相当と認める。

(二)(1)  昭和四三年一二月一日より昭和四六年四月六日まで

この間の日数は八五七日であるから、一〇二万八四〇〇円となる。

(2) 昭和四六年四月七日以降

第一二回生命表によれば、二五才の男子(原告は昭和四六年四月七日で二五才)の平均余命は四五・五四年であるから、原告はあと四五年間生存するものと認められる。したがって、今後四五年間毎年少くとも四三万八〇〇〇円の出費を余儀なくされることが明らかであるから、右四五年間に支払うべき総額からホフマン式計算法により中間利息を控除して現価を求めると一〇一七万五〇五四円になる。したがって、原告主張の一〇一七万五〇五〇円は相当である。

(三)  以上の合計は一一二〇万三四五〇円となるが、被告が原告に対して付添費用として八二万七〇五〇円を支払ったことは当事者間に争いがないので、この分を差し引いた残額は一〇三七万六四〇〇円となる。

3、慰藉料

前記諸事情にかんがみ、原告に対する慰藉料は原告主張の二〇〇万円をもって相当と認める。

4、弁護士費用

被告が原告に対し本件事故以来休業補償費、付添費を支払ってきたことは当事者間に争いなく≪証拠省略≫によれば、被告は本件事故以来原告の医療費全額を病院に支払ってきていることが認められる。このように、被告は原告に対し損害賠償の義務を任意に履行しているものであるが、右は医療費の実費全額と被告の計算(自衛隊の内規による)における休業補償費及び付添費である。休業補償費は日額七五五円四九銭であり、付添費は日額八五〇円である。被告としては、義務の履行に当り内規に拘束されやむをえないとしても、右金額はいずれも低きに失し、決して原告の権利を満足させるものではない。しかも、被告は将来の休業補償費及び慰藉料については時期尚早としてその支払を拒否する態度をとっていることは弁論の全趣旨により明らかである。しからば、原告としては、権利の実現のためには訴提起のほか道はないわけであり、本訴の提起を本件原告訴訟代理人らに委任したことは余儀ないところといわねばならない。したがって、弁護士費用は本件事故と相当因果関係があるものというべく、被告の負担に帰すべき弁護士費用は原告主張の五〇万円をもって相当と認める。

5、以上判示したとおり、損害の合計は三二〇一万七〇八五円となる。

三、結論

よって、本訴請求中、三二〇一万七〇八五円及び内金二七四八万三四一三円(原告主張のとおり)に対する本件不法行為の日である昭和三九年五月二六日から内金五〇万円に対する訴状送達の翌日である昭和四四年一月二〇日から各完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分を認容し、その余は失当として棄却することとし、民事訴訟法九二条、一九六条を適用し、仮執行免脱の宣言は不相当と認めるのでこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石川良雄 裁判官 片岡正彦 裁判官 児玉勇二)

〈以下省略〉

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